何故プロレスラーがWebデザイナーに!?転身のキッカケとは

どうも、ホワイトです。

 

フリーランスとなり、ここ最近は人と出会う機会が増えているわけですが、自己紹介をすると大体言われますよね、

 

「どうしてプロレスラーからWebデザイナーになろうと思ったんですか!?」

 

自分が逆の立場だったら聞いていたかもしれないし、これはまぁ仕方ないことだと思います。

 

で、経緯を説明するにも結構複雑な流れなもんで、改めて一通り振り返ってみようかなと思った次第です。

 

では、どうぞ。

Webサイト制作との出会い

実は結構前からWebサイト作りには興味を持っていたんですよ。

 

そのことが分かるのが、まず大学時代。

 

同年代なら覚えている人もいるかと思いますが、魔法のiらんどというのが爆発的に流行ってました。

今のような女子向けじゃなくて、簡単にホームページが持てる、そして仲間同士掲示板でワイワイやったりして、結構楽しんでやってました。

携帯電話(ガラケー)が普及して、1人1台携帯電話の時代になってきた頃です。

 

中でも凝ったサイト作りをしている人に興味をひかれ、どうやってこういう仕組みを作っているのかと、次第にソースコードを覗くようになってきました。

その時点で結構興味持ってますよね。

わからないなりにもソースをいじってると表示が変わったりして、それが面白く感じている時期でした。

 

そこに面白さを感じ、魔法のiらんどじゃ物足りなくなった自分が手を付けたのが、Yahoo!ジオシティーズ。

 

来年2019年3月でのサービス終了が発表されましたが、当時としてはhtmlソースに触れて、ある程度の自由度もあるし、わからないながらもあれこれいじっては楽しんでましたね。

 

同時にホームページビルダーにも興味を持ち、作っては潰しの繰り返し。

今ではこのソフトもかなり進化しているようですが、当時としては本当に初心者がホームページ作成に初めて触れる定番でした。

 

これらを使って楽しんでいたのが、まずWebサイト制作との出会い期。

大学2、3年ぐらいでしょうかね。

団体のWebサイトを更新をすることに

大学卒業して総合格闘技の選手としてリングに上がり、その後にプロレスもやるようになり、流れのまま自分たちで団体を立ち上げることとなりました。

 

幸い、ジムの会員さんがご厚意で団体サイトとロゴは作ってもらえたので、更新は自分たちで担当することに。

 

ところが所属選手でPCを使える人がいない。
そもそもPCを持っている人がいない。

 

そんな中、以前から少しホームページ作成に興味のあった自分が当然のように担当を任されました。

 

素人同然の何の知識もない状態で触っていくんだから、レイアウト崩れなんてのは日常茶飯事。

 

何やっても、どうしたら良いか全くわからないなんてこともしょっちゅう。

 

しかしながら、失敗を続けていてもサイト制作への興味は大きくなる一方で、次第にのめり込んでいくようになるのでした。

転機は頸椎ヘルニア

デビューして2年ほどで首のヘルニア、腰のヘルニアをやりました。
首・腰とヘルニアマスター(笑)

 

私生活も上手くいかないし、体もどうにもならないし、精神状態も結構追い込まれていた時に

「このまま何もしないわけにはいかない、何かお金を稼ぐための手段を見つけなければ」

と思って、一番に思い浮かんだのがWebサイト制作でした。

 

選手もリタイヤ状態、体も治療中でお金が無いので、独学からスタート。

 

凄い動きの悪い低スペックのノートPCに、知人からいただいた制作ソフト類を詰め込んで実践の日々。

 

短期講習とか少しだけWebスクールみたいなところにも通ったけど、ほとんどは実践で身につけていきました。

 

自分がWeb制作を勉強していると知った小学校時代の友人が、初めて“仕事”としてWeb制作の話を持ってきてくれました。

まだまだ自身はなかったけど、お金も無い状態だし、やらないという選択肢は無かったなぁ。

 

今思えば初めての個人案件でディレクションから全てやっていたんですね。

 

当時としては無我夢中で作っていたけど、今振り返ってみるとレベルの低いもの作って納品してたなと恥ずかしくなってしまうけど、本当に良い経験になったなと友人には感謝してます。

 

ここからポツポツと個人で話をもらうことがあり、定期的にWebの仕事をやりたいと思うようになり、派遣会社に登録して仕事を探し始めました。

派遣社員としてのWebデザイナー時代

派遣会社に登録して仕事を探し始めてから程なくして、ちょうど自分に合うところが見つかり、無事就業することができました。

 

この間、プロレスラーとしても復帰を果たし、この時期からWebデザイナー、プロレスラーの兼業がスタートすることになりました。

 

最初の就業先で働いていたのは約2年。

業務に慣れてくると刺激が少なくなる。サイト制作は事業の片隅のような会社だったので、もう少しレベルの高いところで経験を積みたいという欲が出てきた自分には、その環境ではこれ以上は難しいなと思ったので就業先と契約解除させてもらいました。

 

このときの就業先が決まったもんだから、次もすぐに決まるだろうと余裕でいたら、これが大誤算。

 

世間はまだリーマンショックから抜け切れていない不況の中、30ちょいで低スキルの自分を雇ってくれるところなど当然ない!

 

正社員・派遣社員・パート・アルバイト、種類問わず探し続けて何社落ちただろう?

 

5~60社はダメだったんじゃないだろうか。

 

派遣会社から紹介された単発の業務委託などで何とか食つなぐこと半年。

 

藁にも縋る思いで行った派遣の面接で出会ったディレクターの方が自分の経歴に非常に興味を持ってくれて即OK。

 

スキルが低いことを気にする自分に対しては

「わからないことは仕事やりながら全部ウチで覚えればいい。わからなかったら俺が教える」

とまで言っていただき、その1週間後から就業することになりました。

 

ここでの在籍2年間は恐らく自分の制作歴の中でも一番の苦労時代だったと思います。
何もない状態から自己流で始めて、ようやくまともな環境で働けるようになってからの下積み期間だったと思ってます。

 

最初のうちは全く仕事に付いていくことができずに毎日のように打ちのめされる日々。

 

1年ぐらいはホントにどうしようかと思って過ごしていました。
仕事が終わらず終電で帰るときに、乗り換えミスって途中で終電間に合わなくなったこともあったなぁ。

 

就業1ヶ月も満たない時にアゴを骨折したときもホントにどうしようかと思いました(笑)

 

このときも前述のディレクターさんが契約を切らずに退院するまでちゃんと待っていてくれたので、本当に感謝しています。
この方のことは今でもWeb業界での恩師と勝手に思っています。

 

ちょうど就業したタイミングでサイトリニューアルに向けての大型プロジェクトが動いていたこともあり、もの凄い忙しい中での業務を経験できたことは今でも自分の財産です。

 

と、ここまでがWebサイト制作との出会いから、実際に仕事をしていくまで、ざっと振り返ってみました。

 

こんな感じで格闘技・プロレスをやりつつもWebサイト制作へとシフトしていったわけです。

 

プロレスを引退し、Webデザイナーとして1本でやっていくようになった時の話はまた次回にでも。

 

▼昨日の筋トレメニュー
・プリチャーカール 35kg×10r×5
・ダンベルカール 16kg×10r×5
・リバースグリップチンニング 10r×5
・ケーブルトライセプスエクステンション 33kg×15r×5
・ダンベルトライセプスエクステンション 26kg×10r×5
・リバースプッシュアップ 30r×5
※インターバルは30秒~2分

 

完全に書き忘れていた筋トレ記録。ちゃんとやってるけど今週はなかなか時間が取れない…