どういう流れで!?プロレスラーからウェブデザイナーへの道

ウェブデザイナーになるまで

誰かと会って自己紹介したときに、プロレスラーがウェブデザイナーになったということにまず驚かれたり興味を持たれる。

自分自身では当然のように過ごしてきただけに、単に異業種から来ただけで「そんなに珍しいことなのかな?」と思っているが、未だにそのポイントで興味を持ってくれたりする人がいるのだから変わったことなのでしょう。

そんな変わった(?)経歴、プロレスラーからウェブデザイナーに至った経緯を書いてみたいと思う。

長いので、飛ばしてもらっても大丈夫です…

ウェブツールに触れはじめたのは魔法のiらんど、Yahoo!ジオシティーズ

実際に制作技術を習得するのは後のことになるが、最初にホームページ制作に興味を持ったのは大学時代。

当時、ガラケーでウェブサイトが簡単に作成できる魔法のiらんどが自分の周りでブームとなっていた。

結構ハマってしまい、通常の操作だけでは飽き足らず、少しhtmlソースを加えると変化が起こったりするのが楽しかったことを覚えている。

そこから携帯サイトではなくPCサイトも作ってみたいと思うようになり、家にあったPCに付属していたホームページ・ビルダーを使って色々と試してみていた。

サイトを作ったらアップするところが必要だということで、Yahoo!ジオシティーズでアカウントを作成してアップする場所を確保。

仲間内のサイトを作ったり、個人的に興味あるサイトを真似たようなものを作ってみたり出来る限りのことはしていた。

大学時代はジムに通って格闘技も始めていたが、バイトがパソコンのキーパンチャーだったということもあり、パソコンに触れる事に全く抵抗は無かった。

格闘技が無ければ、そのままパソコン方面にのめり込んで行ったんじゃないだろうか。

サイト制作の真似事も格闘技の方が忙しくなってきたこともあり、1年ぐらいしたらパタッと止めてしまったような気がする。

プロレス団体の立ち上げによりサイト更新担当に

総合格闘技、プロレスと本格的に活動するようになり、その中で分不相応ながらも所属ジム内のプロレスチームで団体を立ち上げることとなった。

そこで当時のジム会員でウェブクリエイターだった方に依頼してウェブサイトを制作していただいた。

制作したはいいものの、大会ごとに更新していかなくてはならない。

ところが所属している選手たちは誰一人としてホームページ制作どころか、まともにパソコン操作もしたことないような人ばかり。

自分もまともに制作した経験があるわけではないが、過去に遊び程度でいじったこともあり、更新作業は文章入力中心ということで自分が担当を引き受けることとなった。

初めてホームページ制作に興味を持ってから3年ほど経過したぐらいのことだ。

更新作業自体は単純はものだったが、やればやるほど興味が湧いて来て、ちょっと本を買って読んだり、ネットで調べてみたりするようになっていった。

しかし、ちゃんと技術を身に付けるにはそれなりのソフトを購入して覚えたりしなければいけないなど、結構ハードルを感じていた。

そんな感じでなんとなく更新作業は続けて行った。

ケガによりリタイヤを余儀なくされてから本格的に勉強を始める

首と腰(背中)のケガが酷くなってきて練習も上手く行かない、私生活もままならない時期があり、選手生活が続けられないような状況に陥ってしまった。

今思えば本厄だったからかもしれない(笑)

選手生活が続けられないとなった時に就職しなければならない、しかし手に職はない、何のスキルもない。

何か身に付けて食っていかなくては!と考えた時、一番最初に浮かんだのがウェブデザイナーになることだった。

どうにか安くソフトを手に入れて、最初は本を読みながらスタートしていたが、いくつかウェブサイトを作ってみたのの、本当にこのまま独学だけで良いのか!?と思い、少しだけスクールに通うことに。

年単位で通うような金も時間もかけてられないので、短期間や集中講座で一気にやってそれで終わり。

あとは再び独学で続けて行った。

まだ途中ではあったものの、ウェブ制作を勉強していることを知った友人から仕事を紹介され、産まれて初めてのウェブ制作案件を請け負うこととなった。

当時は見積りもよくわからないし、ディレクションなんかも全くやったこともなく、どうやったらよいかわからない中を無理矢理どうにかやっていた。

その時のクライアントさん達には本当にご迷惑をおかけしました…どこかで成長した姿を見せたいものです。

現役復帰と初めての派遣就業

総合格闘技の最後の試合となったDEEPでの岩見谷智義戦

総合格闘技の最後の試合となったDEEPでの岩見谷智義戦

友人・知人紹介でいくつか案件をもらって活動している期間に復帰の話をいただき、バチバチにて現役復帰を果たした。

そんな中、登録していた派遣会社からの紹介で、とある会社に勤務することとなった。

体の状態が良くなってきたので一試合だけ総合格闘技のリングで引退試合を行うために練習を続けてはいたが、まさプロレスのリングで復帰することは予想だにしていなかったこともあり、派遣会社に登録しまくり職探しは続けていたのだった。

平日の日中はフルタイム勤務しながら、帰宅して練習という生活を続けて2年。

そろそろ次のステップに進みたいと思い、ウェブでもう少し上の環境に行きたいと思い、2年お世話になった派遣先を離れることにした。

難航する職探し、ようやく見つかった就業先でも苦難が続く

選手活動は続けているものの転職活動をするにあたり、次は正社員で働きたいと言う気持ちが強かった。

結婚を考えていたこともあったが、この時点ではまだ大した技術も身についておらず、どっぷりウェブ制作に浸かって、自信を持ってウェブデザイナーだと言える技術を身に付けたいと思っていた。

しかしウェブ業界は不況(と派遣会社の担当が言っていた)ということに加えて、自信を持って売り込めるようなスキルもなく職探しは非常に難航した。

正社員、派遣、バイト含めて50社以上は受けて全部落ち、結婚控えているのに6ヶ月ぐらい定職に付いていない状態(笑)

その間は特に親身になっていただいた派遣会社2社から短期間の仕事や、直接仕事依頼をいただいたりしてどうにか食いつないだ。

あの時助けてもらった恩は一生忘れません。

焦りながらも職探しを続けていったところ、一件紹介を受けて面接に行った会社で派遣契約ではあるが拾ってもらえることになった。

その時、面接していただいた方からはプロレスをやりながらという経歴が面白いと興味を持っていただき、スキルが足りない旨を正直に伝えても「全部教えてやるから、ウチで勉強すればいいよ!」と言っていただき即OKとなった。

即OKになって、就業したは良いものの、1ヶ月後の試合でアゴを骨折。

入院、手術と2週間近くの休みで、せっかく働き始めたのに、これは完全に終わったなと思ったが、その時も前述の上司の方から病院を紹介していただけたお陰で即手術することが出来、こんなところでもお世話になってしまうのであった。

退院してからは仕事の方も本格化。

この時、自分のスキルの低さを本当に思い知らされて結構大変だった。

知らないことが多すぎるので話にならない状態。

細かいところは省きますが、他の人に付いて行くこともままならない上に大きなプロジェクトも進行中だったりで、とにかく必死にやった2年間。

この間に結婚、引退、子どもが産まれて、更に仕事に集中できる状況となり、ここからようやく自分のことをウェブデザイナーと言えるようになったんじゃないかと。

この期間に苦労したことが今の自分の支えとなっていると思う。

セールスポイントがウィークポイントに直結する元プロレスラーの肩書

冒頭でも書いたが、元プロレスラーということは興味を持ってもらうための非常に売りになる部分だと思う。

その反面、働きが悪かったらそれはそれで「やっぱプロレスなんかやってちゃ…」となるし、逆に成果を出せるように働くことができれば「プロレスやってたっていうのに凄いね」となる。

引退して7年も経てば普通に仕事できて当然の話でもあるが、どこかでそう見られている部分があることは感じるので、常に後者を目指して行けるように心がけている。

長くなりましたが、ひとまずプロレスラーからウェブデザイナーになるまで。

これでも細かいところはだいぶ端折っているんですが、それはまた別のお話。