祖母の他界と不思議な出来事と

どうも、ホワイトです。

永らくブログを休ませていただいてました。

痛風発作が続くので思うように減量できずにいたこともありますが、かなり多忙な状況の中、タイトルにもあるとおり祖母が他界したりで色々と思うところも自粛しておりました。

四十九日も過ぎたことだし、足の具合も良くなってきているので、祖母のことを書きながらブログ再開したいと思います。

亡くなったのは先々月3月19日でした。

プロレスラーとしての現役時代最後の数年間はバチバチでの試合をほぼ毎回観戦に来てくれていたこともあり、池田さんをはじめとした選手・スタッフの方々、そして会場で声をかけていただくなど優しく接していただいたお客様に向けて、まずはツイッター上で簡単なご挨拶をさせていただきました。

享年93歳。

大正14年生まれ、昭和へと変わる時代に生まれ、そして平成から令和へと時代の変わり目に去って行きました。

バチバチ観戦時は既に80代半ば。

会場でも最高齢だったのではないでしょうか?

何だかんだと孫の体の心配しつつも、試合を楽しんでいるのは流石でした。

とても気持ちの強い人で、4回?5回?何度か寝たきり状態になったにも関わらず、その度に自力で歩けるところまで回復するという不屈の精神力を間近で見せられてきました。

何度か寝たきりを経験してもその都度回復して、この人は一体どんな風にして亡くなっていくのだろうか?本当に死を迎える日が来るのだろうか?とこちらに思わせてくれるような人でしたね。

ここ数年は不思議な存在というか、この世とあの世の境目にいるような変な感覚で接していた感じです。
別に弱々しく衰えていくようなところを見ているわけでもなく、むしろ段々と元気になっている状況なのに、この人間界にいるような雰囲気ではないものを感じてました。

急死。

最期は自宅敷地内の急斜面で庭いじりをしているところで足を滑らせての転落死でした。

とても老衰で周りが看取って亡くなっていくような姿が想像できるような祖母ではなく、やはり普通じゃない死に方を選んだなと思う最期でした。

 

その前後で自分の身に起きた不思議な出来事を。

 

3月18日(月)

夜、食事を終えた自分が自室で仕事をしていると、ふと祖母の気配を感じました。
言葉には表せない、祖母が近くにいるなという気配。

マンションの通路側の部屋が自室となっているのだが、まるで窓越しに祖母が来ているような雰囲気を感じて、いるはずもないのに玄関開けて確認してしまいましたが、もちろん誰もおらず。

そして数分も経たないうちに母からの電話があり、祖母の行方がわからない、と。

聞けば当日のお昼ごろに叔父が実家を訪れた際は施錠してあって、その時間から部屋に祖母はいなかったと。
いつも一人で散歩や敷地内の草むしりや山菜取りなどに出かけることがあるので、特に気にせずいたところ、うちの両親や妹たちが帰宅してからも祖母は帰宅しないので、こちらに連絡をくれたとのこと。

実家の敷地といっても平坦な庭ではなく斜面になっているところがあるので、当初からどこかで転がって倒れているのではないかと、両親や妹、従兄弟たちが探しても見つからず、その夜は父が警察に届けを出して、そのまま一晩過ごすことに。

自分も仕事以外で寝られない夜は久々でしたね。

3月19日(火)

祖母の行方がわからなくなった翌朝、二女を保育園に送っていこうと自転車に乗った直後、再び母から電話。

「お婆ちゃん見つかった、斜面から隣の敷地に落ちて見つかった」と。

自宅敷地の端の方の急斜面から転げ落ちて隣家の敷地に落下して倒れている状態で発見されたという連絡。

前夜、家族がそこの近くまでは行くものの暗く斜面が急だったこともあって直前で引き返していたその場所に祖母は行っていたようです。

 

ああ、やっぱり外だったかと思うと同時に何故か不思議な気持ちに包まれました。

我々夫婦は、祖母が幾度となく「今は敷地内での草むしりや山菜取りが生きがいだ」ということは聞いており、近所の方々にもそのようなことを話していたらしく、「この花や草木の中で死ねたら本望」だとも話していたそうです。

母からの一報を聞き、こういう形で亡くなっていくのかと妙に納得してしまう自分もいました。

前日感じた祖母の雰囲気は亡くなったことを知らせに来たのでしょうかね?

 

亡くなってから1週間後に通夜・告別式を終え、悲しさ寂しさというのは当然の如くあるものの、実感がないんですよね。

ゴールデンウイーク中に四十九日を終えて今もなお、実感がないんですよね。

亡くなって棺に入っている姿は見ているはずなのに、いなくなった実感がない。

転落事故の現場を見ていないからそう思うのだろうか!?

このことも上手く説明できないけど、ずっとそうなんですよ。。。

 

前述の通り、祖母は非常に気の強い人で普段から孫たちには絶対に迷惑をかけたくないと口癖のように言っており、情けない姿を見られるのも本当に嫌いな人だったので、生から死へ向かう姿も見られないよう、そして周りに確かな死を実感させないように去っていったのかもしれません。

一緒に住んでいる家族が危ないからやめてくれと言っても聞かずに草むしりに出かけて何度か危ないこともあったりして、それが最悪の形を迎えてしまったわけですが、個人的には祖母自身にとってはこれが一番良かったのかなとも思っています。

 

四十九日を過ぎて本来なら成仏してもらってないと困るわけですが(笑)、なんだかまだまだずっと近くにいそうな感じがします。

最後に若かりし祖母と自分の姿。

あまり前面には出ないように過ごす祖母でしたが、バチバチの会場ではシルバー森山さんなんて言われて、まんざらでもないような感じをしていたので、こんな写真出しても悪い気はしないでもらえるでしょう。

 

今ごろあちらの世界では祖父からは「今ごろ来たのか!遅いじゃねーか!」と怒られつつ、また夫婦のやり取りを再開してるのでしょうかね(笑)